数々の映画やドラマで活躍する阿部寛さん。

2枚目な顔立ちながら癖のあるコミカルな役もこなす演技派として人気です。

今回は、そんな阿部寛さんの若い頃のイケメン過ぎる画像を紹介します。

モデル時代の画像過去の映画やドラマの出演作についても紹介します。

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阿部寛の若い頃の画像がイケメン過ぎる!

阿部寛さんの若い頃の画像がこちら⬇️

阿部寛、若い頃、画像

クールなイケメンです。

現在の阿部寛さんは、不精ヒゲが似合う大人の男という感じです。

しかし、若い頃はヒゲもなく爽やかです。

阿部寛さんは、中央大学に在学中の1995年に姉の勧めで「ノンノボーイフレンド大賞」に応募しました。

優勝商品の車欲しさに応募した阿部寛さん。

見事に優勝を勝ち取ります。

そして、モデルとしてデビューすることになります。

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阿部寛のMEN’S NON-NOモデル時代の画像

阿部寛さんは、1986年に創刊された雑誌「MEN’S NON-NO」の表紙を飾ります。

女性誌「non-no」の男性版として人気を得ています。

阿部寛、若い頃、画像

阿部寛さんは、「MEN’S NON-NO」の表紙を創刊号から43号まで勤めています。

1987年のMEN’S NON-NO表紙の阿部寛

1987年のMEN’S NON-NOでの阿部寛さん。

阿部寛、若い頃、画像
阿部寛、若い頃、画像
阿部寛、若い頃、画像

無造作な感じの髪型も様になるイケメンです。

1988年のMEN’S NON-NO表紙の阿部寛

1989年のMEN’S NON-NOでの阿部寛さん。

阿部寛、若い頃、画像
阿部寛、若い頃、画像
阿部寛、若い頃、画像

帽子姿も様になるイケメンです。

1989年のMEN’S NON-NO表紙の阿部寛

1989年のMEN’S NON-NOでの阿部寛さん。

阿部寛、若い頃、画像
阿部寛、若い頃、画像
阿部寛、若い頃、画像

189cmの長身堀の深い顔

これぞモデルという感じで人気となりました。

当時、「しょうゆ顔・ソース顔」という言葉が流行りました。

阿部寛さんは、代表的なソース顔です。

顔立ちが彫刻で刻まれたように深いのでハーフなのでは?という声も上がっていました。

「しょうゆ顔・ソース顔」は、1988年の流行語大賞の大衆賞を受賞しています。

ただし、当時ソース顔の代表としての受賞者は、少年隊の錦織一清さんでした。

ちなみに、しょうゆ顔の受賞者は、同じく少年隊の東山紀之さんでした。

阿部寛の後にMEN’S NON-NO表紙を飾ったイケメン達

3年に渡りMEN’S NON-NOの表紙を飾ってきた阿部寛さんの後を継いでいったイケメン達をみていきましょう。

マーク・パンサー

マーク・パンサーさんは、初代MEN’S NON-NO専属モデルでした。

マーク・パンサー

 1990年代には、小室哲哉さんとともにglobeとして活躍。

現在は、DJや大学の客員教授なども勤めています。

田辺誠一

田辺誠一さんもMEN’S NON-NO専属モデルでした。

田辺誠一

田辺誠一さんもモデル後は俳優として活躍されています。

女優の大塚寧々さんの旦那さんでもあります。

織田裕二

俳優の織田裕二さんもMEN’S NON-NOの表紙を飾っています。

織田裕二

織田裕二さんも阿部寛さんと同世代です。

意外な感じもしますが、織田裕二さんはモデルとしても活動されていました。

阿部寛さんが表紙を飾った創刊号でも紙面モデルとして登場していました。

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阿部寛の昔の出演作を紹介

阿部寛さんの若い頃の出演作を紹介します。

映画「はいからさんが通る」で初出演

阿部寛さんは、1987年に映画「はいからさんが通る」で俳優デビューをします。

阿部寛、出演作

当時人気絶頂だったアイドル・南野陽子さんの相手役に抜擢された阿部寛さん。

阿部寛さんは、ドイツ系ハーフの陸軍少尉で南野さんの婚約者役で出演しています。

阿部寛、出演作

凛々しい表情が似合います。

当時のことをインタビューで語っています。

「そのときも就職活動をしていたんですが、俳優志望のモデル仲間がいて、俳優も選択肢の一つにあるのかなと思い始めた時期で。そんなときにお話をいただいて、南野さんは当時押しも押されもせぬアイドルでしたから、出演をお引き受けしました。とはいえ、俳優としてはド素人。クランクイン前に監督と何日もリハーサルをして現場に入ったんですけど、いざカメラテストになったら頭が真っ白になって。あのときのことは今でも鮮明に覚えています」

出典:ザ・テレビジョン

今の阿部寛さんからは想像できませんが、当時はカメラテストの瞬間、頭が真っ白になったと。

今でも鮮明に覚えていると語っていますのでよっぽど緊張したのでしょうね。

映画「孔雀王アシュラ伝説」で初主演

阿部寛さんは、1990年に映画「孔雀王アシュラ伝説」で初主演をはたします。

阿部寛、出演作

この作品は、孔雀王シリーズの第2作で、第1作では三上博史さんが主演を勤めています。

この映画は、日本と香港の合作で香港のアクション俳優ユン・ピョウも出演しています。

その他にも名優・勝新太郎さんも出演しています。

若い頃の阿部寛の出演ドラマ:不遇時代

若い頃の阿部寛さんの出演ドラマを見ていきましょう。

  • 恋をしましょう~ユーミンを聴きながら~」 1988年 初出演ドラマ
  • 風に恋して」 1989年
  • 「花嵐の森ふかく」 1989年
  • 「20歳もっと生きたい」 1989年
  • 「俺たちの時代」 1989年
  • 「恋の街 東京」 1989年
  • 「なかよし」 1990年
  • Y殺人事件 湯けむりスキーと女子大生!?」 1990年
  • めざせ!イカ天 ロックンOL物語」 1990年
  • 「僕が医者をやめた理由」 1990年
  • 「愛してるよ!先生」 1990年
  • 「なかよし2 恋の手ほどき」 1990年
  • 年末年始ザ・ホスピタル 生命を支える男女」 1990年
  • 「未来の海」 1991年
  • Hは謎のイニシャル 女子短大生の愛のゆくえ」 1991年
  • 熱血新入社員宣言」 1991年
  • 「世にも奇妙な物語 ま・ば・た・き」 1991年 初主演作品

様々なドラマに出演していますが、実はこの時マンション投資に失敗し数億円の借金を背負ってしまったと…

当時は、依頼された仕事はすべて受け、イベントなどでも地方を巡ったそうです。

原動力は、「払わざると得ないこと」だったと。

「名前が残っているから仕事がいただけることに感謝し、目の前の仕事は次につながるプロモーションであり、勉強だと切り替えた。」

出典:産経WEST

そして、俳優としても不遇の時代だったと語っていました。

当時は、セリフを言うだけで必死だったそうです。

転機になったのが、1993年に演出家のつかこうへいさんの舞台「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」に出演したことだったと。

バイセクシャルの敏腕刑事とう役に挑んだ阿部寛さん。

当初は、とても手に負えない役と不安を抱えていたそうです。

しかし、舞台に立ってみるとお客さんの反応が良かった。

楽しそうに笑ってくれたと。

その喜びを今後一切逃したくないと思ったそうです。

しかし、その熱い思いがドラマなどの映像の仕事に繋がらなくて相当焦りを感じていたそうです。

ドラマ「成田離婚」で転機到来

1997年に草なぎ剛主演のドラマ「成田離婚」に出演した阿部寛さん。

阿部寛、出演作

当時の思いを語っています。

「当時はトレンディードラマに出させていただくのがだったので、お話をいただいたときはうれしかったですね。それまでに苦汁を飲んできているし、名前を売らなければという思いもありました

中略

このドラマで世間的にも評価をしていただき、次につなぐことができたので、草なぎさんには本当に感謝しています。

出典:産経WEST

阿部寛さんの演技に対する熱い思いが、この時のドラマ出演で世間にも認められたのですね。

ドラマ「TRICK」でブレイク

この後、2000年には、代表作となる「TRICK」に出演します。

阿部寛、出演作

仲間由紀恵さん扮する自称売れっ子マジシャンと阿部寛さん扮する自称天才物理学者の迷コンビが人気となりました。

連続ドラマは、第3シリーズまで継続され、スペシャルも3本。

そして、映画が4本作られるなど大人気となりました。

阿部寛さんが、当時の思いを語っています。

「つかさんの舞台でもエキセントリックな役をやったのですが、上田次郎はさらに変態性が高く(笑)、大うそつきという設定だったので、どう演じようか悩みました。監督の堤幸彦さんの才能は、その前の『ケイゾク』シリーズ(1999~2000年TBS系)などで知っていたので、当時まだ新人に近かった仲間さんと一緒に何とか成立させなければという思いが強かったですね。でも、第1シリーズのときは本当に撮影がキツかった(笑)。毎日、朝まで撮影をやっていて、睡眠時間はほとんどありませんでした。それでも、視聴者の方から『面白い』と言っていただけので、それを励みにやっていた感じですね」

出典:産経WEST

毎日、朝まで撮影とは相当きつかったと思います。

視聴者の声を励みに頑張っていた阿部寛さん、その思いが伝わり大ヒットに繋がったんですね。

その後の目覚ましい活躍は、ご存知の通りです。

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